寿永3年(1184)一ノ谷の合戦で敗走した平忠度(たいらのただのり)を追って源氏の岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただずみ)が明石の両馬川で追いつき組討ちとなりました。忠度が忠澄を取り押さえ首を搔こうとしたとき、主人の一大事と忠澄の郎党が忠度の右腕を切り落としました。忠度はもはやこれまでと討ち死にします。忠度のその右腕を埋めたとされるのが腕塚神社です。腕の病に霊験あらたかだとお参りする人が絶えず、今神社にある木製の右手で患部を撫でれば、よくなると言われています。私も左ひざの痛みが忠度の右手で撫でたらよくなってきたような気がしました。
