明石城 武蔵の庭園

宮本武蔵(1584-1645)が藩主小笠原忠政(のちの忠真)のために、西の捨曲輪(のちの山里曲輪)の樹木屋敷を手掛けたとされています。樹木屋敷とは、城主の遊興所で、「散策・休憩・客のもてなし」のために作られた場所のことです。御茶屋(おちゃや=休憩所)・鞠の懸り(まりのかかり=蹴鞠をする場所)・築山(つきやま)・泉水・滝などがあったことが小笠原家に伝わる「清流話」に記録されています。山里郭(やまざとくるわ)とも呼ばれたように、豪華な大名庭園というよりは、質素な風情であったと想像できます。

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